欲求の根源
何かしたいと思う時そもそも、それはどこから湧き上がるものだろうか
また最近読んでた本から考えたことなのだが、思ったより、主語が自分ではない人というのはそんなに珍しいことではないらしい
主語が自分ではないというのはどういうことなのか
これは、普段から物事を進めていく上での話である。
例えば、会社というものに対して、私はこう思うからこうしたい、そもそも面倒になりそうだからやりたくないというのは主語が自分
会社の利益になりそうだからやりたい、今後非効率になりそうだからやめたほうがいいと思うとういうのは主語が、会社、もしくは社会全体、他者、になりやすい人
万物の法則原理から問題を意識して、宇宙の仕組みそのものから道理や法則を考えてしまうような人。これの場合、主語は自然などである。
世の中で知られている天才、偉人は皆、主語が自然だったりして、宇宙の仕組みとかに興味をもつ人が多い。
そもそも、そういう次元の人にとって、自然こそが自分の好奇心や欲求を完全に満たせる唯一無二の存在なのだろうという話らしい
そういう話の時、心の位置というのもそもそもどこにあるのかというのに興味が湧いてきた。
自分はどちらかというと、自分の欲求みたいなのがあまりないように感じてしまうし、選択肢があるのであればみんながうまくいく方を自然と選ぼうとする。
よって、よく言われるのは「あなたはどう思うの?」とか「あなたは何がしたいの?」という話だ。
そしてこれは就活の時などや、自分を理解するという上でも一番重要になてくる設問であり、答えを用意したくなることだ。
そもそも、自分が他人行儀に生きてしまうことはさておいて、自分の欲求の特良。つまりは面接でよく聞かれる「あなたは何がしたいですか」の質問に対する回答について少し考えてみたいと思う
まず、明らかな部分からアプローチしてみる
1.時間や環境
2.他者との関係
1.そもそも欲求とは時間や環境によって大きく変わることである
これについては明らかだ。
具体例を示したらキリがないと思うので省略。
ついこの前まではこんなことしたかったのになあなんてことばかりだ
そういう中でも、欲求の中に共通している共通項を抽出することが大事なんだろうけど、それは、今現在、から未来にかけての自分のしたいことを無理やり定義しようとしているから必要なのだあって、果たして意味があることなのかわからない。
もしかしたら、それによって、決めつけてしまった自分の特徴みたいなものによってこれから意思決定してしまったら、ベストアンサーみたいなものが選べなくなる可能性だってある。
その環境時間他者との関係様々な状態に応じて欲求は変化してくものだ。
2.他者との関係による変化
これはもしかしたら、主語が常に自分であるタイプや、主語が自然や宇宙であるようなタイプには通用しない問題なのかもしれない
主語が、社会や他者になりやすいタイプに陥りやすい問題だ。付き合った人の趣味がいつの間にか自分の趣味になるとかそういうのも関係あるのかな。
これは最近自分が痛感していることであり、また、面白いなあとも思っている。自分としては、誰かのために自分の欲求や行動をある程度制限しているうちに、制限された状態に慣れたという感じが正しい。
ここで気をつけなければならないのは、ただやりたいことが制限されてしまうことは大した問題にはならないが、本当にやりたかったことまで、制限してしまうことだ。
皆には、生涯を通して、これだけはやりたいみたいなことはないのだろうか。
これについても、1で話した通り、時間によって変化していくものであると思うし。そもそも、夢みたいなものはその時々で形を変えてくる。本質が変わらなければ形はどうでもいいとかじゃなくて、これは本質から結構変わってくる。
そこがはっきり言って最近悩んでることなんだ。。
うーんなんかまた戻ってきたな
また後で