共感?
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最近読んでる本
自分は自己分析の結果どうやら共感することされることに本質的欲求があるということがわかったらしい
本当にそうなのか?と言われたら確かにまあそーなんかなって感じ
皆さんは逆に自分の本質的欲求とかそういうのがわかりますか
この本は、主人公の能力として共感が挙げられている。なんとなく手に取った本にまさにそんなことが書いてあったので気になって読んでる
まあ、でも本の中でこの共感能力っていうのは、天才、秀才、凡人の3タイプに分けた時に凡人が持っている能力であり、天才とかには逆にこの凡人への共感能力みたいなのはかけているらしい
自分としては一口に共感と言ってもそれは種類が存在すると思っている
大きく分けて2つ
1つ目は、巷で話題になっているものに共感して流行に乗っていくような共感。
2つ目は、世間の流行に対して疑問を発したり、理解されないような話題を提供するタイプに対する共感。
これは本流に乗っているか乗っていないかで切り分けただけで、この2つが存在するというよりは、そもそも1つの大きなホールケーキを僕の好みで2つに分離しただけというほうが正しい気もする。
自分が持っている共感というのは圧倒的に2が多いと思う。
なぜ、みんな俺の話を聞いてくれないんだ。わかってくれないんだ。聞いてくれよ。
そんな発言をしている人を見かけたら私は、ぜひ聞かせて欲しいと思ってしまう。
逆に、タピオカブームだとか流行のJ-POPだとかの話をされると、どこがいいのかどこまでも聞いて問い詰めたくなる。そこにしっかりとした根拠があるのなら僕は満足が行くのだが、だいたい満足しないことが多い。
しかし、流行というのは、”すでに流行してしまっている”という事実だけで実際は価値があるのだと思う
本の中でもちらっとそんな話が出てくるのだが、それはまさにその通りだ。 流行を作るというのはそれだけで価値として大きい。
逆に、流行に対して批判するというのは、どこかずるいのでは?とすら感じてしまう。
ここが自分としてはうまく表現できなくて悔しいのだが、とある流行しているものに対して、それを批判するのは流行を流行した根拠を示すよりもかなり簡単であり、聞き入ってもらいやすいと思う
今ある当たり前のことについてそれをさらに好きになるための情報を提供し続けるのはかなり難しいことだ。
現実問題、流行というのは廃れていく運命
それに、批判するということは、立場的にも気分的にもかなり楽なケースが多い
これは悪魔の証明に近いのかもしれない
もしかしたら心理学とかでもっと近しい根拠となるようなお話があるのであれば教えて欲しい
悪魔の証明っていうのはコピペだけど
「起きないこと」や「存在しないこと」を証明することは困難です。なぜなら、「ある(存在する、起きる)」ことを証明するためには一例を挙げれば良いだけなのですが、「ない(存在しない、起きない)」ことを証明するためには、世の中の森羅万象を調べ尽くさなければならず、それは不可能に近いからです。
ゆえに、議論の一般的ルールとして、「ある」と主張した者が、それを先に証明しなければならないという暗黙の了解があります。
「あなたが先に『ない』ことを証明せよ、さもなくば『ある』のだ」と主張する詭弁を「悪魔の証明」と呼びます。
http://ronri2.web.fc2.com/kiben13.html
こんな感じ
基本的に陰謀論とか噂だとかが広まってしまうのもこれのせい
続きはまた後で気が向いたら書こう